5がつひらめき通信

現在私は、渋谷子ども科学センター・ハチラボがメインの職場です。
そこでは、いくつかあるメインの仕事の一つとして、
「ひらめきワークショップ」を、月ごとにテーマを決めて開催しています。
原則小学生以上の親子での参加を勧めています。
親も子も共に感動する場面を何度となく観てきて、相乗的な教育効果の確実さを実感しているからです。
またそこでは、月ごとに通信を出して、学ぶ楽しさを発信しています。
だいたい1000字程度のボリュームです。ここでのワークショップのコンセプトは、
「当たり前の中の有り難さ」です。
普段どこにでもある素材や出来事、シンプルな仕組みの中にあって、真理が隠されているものを取りあげています。
今月ものを紹介しましょう。

「物言わぬ化石との対話」
単なるおしゃべりと違う対話には、一体どのようなものが待ち受けていて、何が見えてくるのでしょうか。
今月のひらめきのテーマは「化石と話そう」です。
物言わぬ化石と、どうしたら対話ができるのでしょうか。

一つには、出合うこと。手にとって下さい。五感を通して触れ合うことから始まります。
ガラス越しにただ観ているだけでは、どうしても素通りしてしまうものがあるのです。

二つ目は気づくこと。五感を通して、あなたは気づきます。手に取り感じるのは手触り感。固い。
そんなところから始まります。そして重さ。なにか小さいけれど、しっかりした重量感が伝わるで
しょう。それから観ます、じっくりと。色、形、そこからの変化。

三つ目。感じたことに「なぜ?」を付け加えます。「これは石なのか?」「なぜ、石になったの?」
「なぜ、こんな色?」「形は?」奇をてらった疑問なんかいりません。率直に「なぜ?」を持つ事です。
「生きていたものが、岩石のように固く変化するには、どれだけの時間が必要なんだろう?」
「その間に、どんなことがあったのだろう?」と。

四つ目。化石と共に探究の旅に出かけます。物言わぬ化石との対話は、時空間を突き抜けていく旅、そのものです。
旅には、羅針盤と地図が必要です。羅針盤とは、旅の方向を指し示すブレない針です。地図は年表です。
ここでいう羅針盤は「化石の定義」です。化石とはなにか。それは過去の生き物の、跡です。遺骸ともいいます。
とにかく大昔、こんな生き物が生きていたと、分かる証拠です。生き物の証拠だったら何でもありです。
この羅針盤が教えている意味を、深めながら旅を続けます。
年表は、化石と地層の関係を明らかにし、あなたを時空間へと、案内します。なにか、わくわくしませんか?
地層と年表と化石とあなた。そこで起きる化学変化は、億年の時空間を越えて広がります。
生き物たちの生と死を縦糸に、地球のダイナミクスを横糸に織りなす、進化の物語です。
地層と化石はじっと扉が開かれるのを待っています。

(続)たて×よこからの学びの多様性

学びの多様性の目的は、複数の視点を得て、事物や真理を立体的に理解するためです。
例えば、問題となっている事物が正方形に見えたとします。しかしそれは、一面だけの事実で、
ある角度から観たら、六角形に見えます。また他の角度から観たら、違った形に見えます。
様々な視点から見た形を繋げて、「これが、立方体」と、
理解すると、運動体としての立方体の理解が進みます。

「立方体が回転したりするとこんな形に見えるんだ。」
「展開図にしたら、こうだよ。」など、
一面だけをみて理解するより、立体的かつ運動体としてのダイナミクスな理解が進みます。
これを豊かな学びと言います。
このような多様な視点からの学びには、特徴があります。
多様に視点を動かすために、言葉を生み出していくことです。
決して難しい言葉ではありません。
主にキーワードから同義語、類義語や対義語、更には比喩など多様に使い、視点を動かして、
多様な視点からのアプローチを可能にしていくことです。

それでは、4年生の面積で学習する「たて×よこ」を、
どのようにして多様な学びにすることができるのでしょうか。

図1は、たてが3個、横が5個で3×5=15となります。2年生来のものの数え方としては、
たて何個、よこ何個で数える事は自然です。それがこのようなシェーマでも使われます。
すぐにたては3㎝、よこ5㎝と長さを持ち出すのは禁物です。
図2では、そのタイルを階段に見立て、ずらしました。
すると、たてという言葉は階段では使いません。
何という言葉が最適でしょうかと問えば「段」と即座に答えが返ってくるでしょう。
すると一段当たり5個のものが3段という表現になります。
「たて」から階段に見立て、高さを意味する段という言葉を見出しました。

再び図1に戻ります。これをビルに見立てます。
するとやっぱり「ビルのたて」は、とは言いません。
建物の高さを表す言葉として「3階」という言葉を見出すでしょう。

このようなたぐいのことを、こども達と共にハンズオンで学びながら
「たて・よこ」の親戚言葉として高さを表す言葉を生み出したり、
あるいは他の見立てを使えば「幅」を意味する言葉にも膨らませることができるでしょう。
このような見方や表現の多様性は、具体的な言葉とつながっていきます。
それは柔軟な思考を促進していくことでしょう。
また5年生以降になって、本格化する面積の世界への見方の素地を形成していきます。

学びを創るとは。その1学習エンジンを起こす

簡単な教材から学習エンジンを起こして学びを創ってみましょう。
4年生の正方形、長方形の面積についてです。
用意するものは工作用紙1㎠のチップが8個ほど。1㎠のチップが8個あるわけですから、合わせれば当然8㎠となります。つまりは1個あたり1㎠のチップが8個で、8㎠。
今三つの文で表現したことは重要なファクターです。

さて、遊びましょう。8個のチップを様々な並べ方をして見てください。シンプルだったり、美しかったり、いろいろあってください。
但しルールはチップを重ねないこと。重ねてしまうと8個8㎠では無くなりますから。
また図形の辺か頂点を共有するようにします。
ここからこども達は思い思いにチップを並べるでしょう。美しい並べ方。とてもシンプルな並べ方。ちょっと変わった並べ方。

などなど。

実際はもっとバラエティに富んだものとなるでしょう。こども達は自己決定し、作っては壊し、作っては壊しを繰り返します。
その合間合間で友達と見せ合いお互いを認め合うでしょう。この時点で、学習エンジンがかかっていきます。

色々な並べ方を友達同士で交流し始めます。一つのテーマや課題の下、情報交換があって互いに気づき合えば、もう対話が始まっています。
ここで教師は、子どもの並べたものを観ながらフィードバックするのです。
「友達のを見て、色々気づくことがあったでしょう。なかなか面白いものもありましたね。
 ところで、みんなちがって、みんないいのだけど、みんな同じ事があるよね。何だろう?」
「みんな8個だよ。」
「そうなんです。先生はねみんなから学べたの!みんなの並べ方は色々で、みんな形が違ったけど、合わせた数は8個。
 広さは8㎠ということ。形はちがっても広さは同じって事だ。」
こういう風にしてフィードバックし、全体で共有します。学びが一段深まります。

それから、こんな遊びはいかが?
同じ広さ8㎠だけど、回りの長さが一番長いのはどんな形?
同じ広さだけど、回りの長さが一番短いのはどんな形?

この遊びはとても挑戦的で面白いので、こども達は夢中になります。
形は変わっても、広さは同じ、広さは同じでも、周囲の長さは違う。

などなど、遊びの中で等積変形と面積と周囲の長さの関係について、体験を通して気づくことができます。遊びの中で、面積の本質(真理)に触れ合っています。もちろん実のある対話もしています。学びがまた深まっています。このようなアクティビティを真理の野に遊ぶといいます。
学習エンジンをかけ、児童が自己決定し試行錯誤することで自らが気づきます。その気づきを先生が受け止めて対話を通してフィードバックします。
「先生があなたから学べたことはね。」と。

試行錯誤と自己決定と対話で学びが深まります。真理の野で先生もこども達も遊べたからです。
ここまでが学習エンジンが起こり、対話が始まり、探究の扉が開くまでです。
次回は、多様な学びを通して、「たて×よこ」という正方形・長方形の面積の求め方をどう深めるかです。

その2 「学びの価値」

教師として学びを創る上で大切な事をいくつか述べて行こうと思っています。一つは事実と真実についてです。
そこに、どんな学びの価値を創り出すことができるでしょうか。読んで感じ取って頂けたら幸いです。

一般に「事実は一つ。真実は人の数ほどある。」などと言われることがあります。
客観的な事実に対して、それを観る人の見方(個々の主観)は様々だという意味でしょう。
このような事実と真実の有り様を、学びとしてどのように取り上げるのでしょうか。
それは2005年の新聞記事からです。

「舗装された道ばたのアスファルトの裂け目から、誰が植えたのでもない大根の種が発芽し、大きな大根へと成長していった」という内容でした。
名付けて根性大根。人々は驚き、感動しました。
「困難にへこたれない見上げた大根。人間も見習わなければ。」という声が多く聞かれました。
すると「我が町にも根性大根が!」とあちこちから画像などが寄せられたというのです。

その頃私は、現職の教員として4 年生の子等と学びを共にしていました。
丁度総合的な学習の時間で、環境をテーマに学習を進めている時でした。男の子がこんな事を言いました。
「僕は思うんだけど、大根には根性はないと思う。そうじゃなくて大根の種は、芽が出る条件が揃ったので発芽したし、そのあとはその場の「かんきょうよういん(環境要因)」が揃ったので、どんどん育ったと思うんです。」
習いたての「環境要因」という言葉を注意深くつかいながら、彼は話し続けました。
「・・・だから僕がすごいと思うのは、アスファルトの裂け目にできた条件で大根が芽を出して、土の中に残っていた命のかけら、― 栄養とつながって、大根として成長していった。そういう命のつながりがすごいと思います。」

アスファルトの裂け目から大根が芽吹き成長したという事実から、人々は自らの生き様と摺り合わせ、そこに根性を見出しました。
「根性大根」はそのようにして全国に広がりました。それが新聞記事となって人々の広がって行ったのですから、そこに普遍的な価値があったのだと思います。

一方4年生の男の子は、アスファルトの裂け目で育つ大根の事実を、解きほぐしたのです。
するとそこには、アスファルトに裂け目ができた事実。
そこに空気が入り込んだ事実、アスファルトの裂け目に水、空気、適度な温度の発芽の三条件が揃った事実。そして舗装前の土の中に栄養素が眠っていた事実などが、浮かび上がりました。

それら事実を時系列で繋げると、潜在的な命の繋がりと生態系の一片が浮かび上がります。
彼はそこに、繋がり持とうとする自然の生命そのもののエネルギーに感動したのでしょう。
彼の学びを教室に広げました。根性大根も一つの真実の物語であるでしょう。
そして男の子の話も、時空間を飛び越えた、命の繋がりの大きさを語る物語でもありました。

塾長よりご挨拶

学ぶということは、対話なのだと思います。だから学びの多様性とは、あらゆる物事との対話に違いないのです。
自分自身との対話、人との対話、動物との対話、自然との対話、様々な道具との対話、ついにはコンピューターとの対話。人は様々な事物と対峙し、対話し、様々な情報を受け生きています。そこで使われる「表現」もまた様々です。
「創造性は様々な対話から生まれる。」だとしたら、ニュートンは誰と対話し、あの林檎の真理を見出したのだろう。モネは何と対話し、光の中に色を見出していった
のだろうか。

私たちは教師として、児童や生徒に様々な対話を持ちかけていきたい。
「ほら、耳をすましてごらん。虫たちや木々のざわめきが聞こえるかい?」
「先生、昨日僕がサッカーボールを洗ってあげたら、ボールが元気に弾んだよ。」
「あなたは、木々とお話しできますか?黄色や赤に色づいた葉っぱが枝から落ちて、今、あなたの手の上にあります。それが落ち葉の手紙だとしたら、そこには何が書かれているのだろうね。」

学びの場で、私たちは様々な対話を繰り広げていきたいと思っています。これからここで綴ることは、この活動を始めて様々な事物や人と出会い、対話をした軌跡でもあります。

奥山勇太郎